今回クリアファイルをカバンに入れてくるのを忘れてしまった。
なので、チラシを折り目なしに持って帰る事が困難に…w
再現された天守は、1638年に再建された天守の姿。
5層の天守だったんですね。
この時代は、まわりに高い建物が無いから富士山がとても綺麗に見えた事でしょう。
明暦の大火で焼失した江戸市街の復興に尽力していた、会津藩初代藩主でもある保科正之が、天守は実用的な意味があまりなく単に遠くを見るだけのものであり、無駄な出費は避けるべきで江戸市街の復興を優先すると主張したため再建されず。
以後、天守が再建される事はありませんでした。
「故宮 紫禁城・天子の宮殿」のチラシ
by Manami_Island
| 2009-07-31 15:39
| おでかけ
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